Monday, July 02, 2012

久しぶりに。【Vol.2】

早くも面倒くさくなってきた。。。
しかし、こういう機会に書かないと後で何回も面倒な思いするしな。。。
一回書けば何回も使えるんだから(Extra-Topicalなケースの問題点も一度ここに書いたらもう説明せずに済むようになったじゃん)。。。頑張れ、自分。

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2. 【技術編②】逃げとしての《This is a value judgement debate》
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この台詞の使用は2種類に分類されると思います。

(1) 「肯定側と否定側がGoalを共有しているタイプのディベートではありません。(つまり普通のディベートです。)だから、ProcessだけでなくValueの吟味もしっかり行ってください。」という意味。

前回の投稿に、PolicyなしのValueディベートなんてないし、ValueなしのPolicyディベートなんてない、と書きましたが、後者については、「Valueについては両サイドに全く意見の相違がない」という希なケースもあります。

例えば、炭素税導入のディベートで、肯定側も否定側もCO2削減が最優先課題だということで同意していて、あとはどの削減方法が最も有効に削減できるかについての意見の食い違いだけという場合。例えば、消費税増税で、肯定側も否定側も景気の回復が最優先課題だと同意していてあとはどうやって景気回復するのが早くて効果的かという点だけという場合。などです。

この希なケースでは、ディベートの焦点はValueから離れProcessに収束してきます。炭素税導入でCO2が増えるのか減るのか、消費税アップで景気は上向くのか下向くのか、そこのみを争うことになるわけです。(この手の論題はしばしば「悪い論題」とされますので、やっぱり聞き手はValueとProcessの両方を聞きたいと思っているんでしょうね)

で、あたかもこのような特殊な場合かのようにプロセスばっかり重箱の隅をつつくように吟味する審査員がいると普通のディベートの時困るので、もしくは最初からValueについて両サイドが大きく見解を異にする確率が高いと予測されディベートのメジャなclash pointがValueになるだろう時、「これは価値観が争点になるディベートですよ。(プロセスばかりじゃなくて背後にある価値観にもよく目を向けてね)」という意味で「This is a value judgement debate」と言う、ということが考えられます。

これは至極、至極、まっとうな使い方です。

さて、もう一種類。

(2) 「うちのチームの意見だけ考慮して、相手チームの議論は無視してください。」という意味。

これが昨日の決勝のタイプ。ダメダメなパターンです。

「もし全部できうることを手を尽くして、それでも他に戦争を終わらせる手がなくて、毎日大量の一般市民を含む死者が出ていて、そんでもって一般市民を殺せば戦争が早く終わるとしたら、そしたら一般市民を殺しても良いでしょ?」
「え?それって具体的には例えばどこ?いや、具体的にどこかは関係ないんだよ、これはvalue judgement debateだから。」

というのが昨日の肯定側。基本的に。

これはヘテロな女に「もし世界中に男が僕しかいなくなって、それでもどうしても結婚したくなったら、そしたら僕と結婚してくれるよね?」「え?どうして世界中の他の男がいなくなったのか?それはいいんだよ、もしもの話なんだから。で、どう?結婚してくれるよね?」と聞いているようなもんです。

うざい。

そもそもの仮定が非現実的で自分に都合よく極端に走っている。質問自体を「No」と答えられないように設定しておいてわざわざ聞いてくることにどんな意味があるというのか。

否定側チームが議論することができないように、ほぼtruismになるような架空の設定を捻くり出すことで勝利を確実にしようとする肯定側のセッティング。こういうのはチキンで姑息なチームのすることです。

で、自分たちのセッティングのあまりの架空性・非現実性を棚に上げるための言い訳として言われる「This is a value judgement debate」。こちらには全く正当性がありません。

(1)の使い方であれば、まあ良いんじゃないですか。まともなジャッジにはわざわざ言う必要もないようなことですが、心配なら言えば。

でも(2)は駄目です。屑です。


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